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〒730-0052
広島市中区千田町
2丁目11番8号
天光堂有限会社
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 天光堂に関するコラムです。お菓子の名前の由来、お店に置いてあるものの由来などなど……少しずつ紹介していこうと思ってます。アップする日は不定期です。
 ●第四回目「龍の絵」  2004年5月30日
 このネットショップの看板にも使用しています、龍の絵についてお話しようと思います。

 龍の絵は看板だけでなく、弊社の銘菓のしおり・手提げの紙袋にも使用しておりますが、それだけでなく、年末年始のみの販売をしております「棹菓子 姫龍」のデザインにも使用しております。
 横幅約1メートル60p縦約50センチの水墨画で、作者は妹尾天然。創業者の田川徳一が昭和30年代に岡山県龍泉寺に訪れた際、天然画伯が描かれた点描かきの雲龍を一目みて心惹かれ、実際に天然画伯にお会いしてこの龍の絵を描いてもらったというものです。
 天然画伯の龍の絵は「雨を呼ぶ雲龍」として有名で、絵を描くと必ず雨が降ったといういわれがあるそうです。弊社の龍は宮島に棲むという女の龍、八代龍王をイメージして描いてもらいました。ところが、天然画伯はこの「女の龍」をどうやって表現するか悩まれ、龍泉寺そばの瀧に打たれたのちその水を使って墨をすることによって、この龍の絵を描き上げそうです。雲龍とはまた違ったおもむきがあり、どちらかというと眼のあたりなど柔らかい雰囲気があります。ですから、創業者も棹菓子に「姫龍」という名前をつけたのだと聞いています。
 天光堂本店にこの龍の絵は飾ってあります(各支店には絵の写真が飾ってあります)。また、創業者が天然画伯にお会いする際、天然画伯からいただいた手紙と「黄鶴楼」という作品もありますので、ご来店の際には是非ご覧ください。手紙には天然先生の自画像が文末に添えられていて、いかにも日本画家らしい遊び心を感じることができます。
 
   妹尾天然(せのお てんねん) 本名:妹尾寛(せのお ゆたか)

 明治21年岡山県賀陽町に生まれる。生家は酒造業を営む。
 明治36年、京都市立絵画工芸学校日本画科入学。
 16歳の時日蓮宗に目覚め、のち絵画の道と宗教の道両方に精進、父が亡くなったのちは家族をつれて京都に住む。戦時中は主に山梨県日蓮宗総本山身延山に身をよせる。
 本名の寛から天然に雅号を移したのは昭和5、6年ごろで、「絵は本より天真を貴び個性を重んず」という意味がこめられている。
 終戦後は主に岡山に住み、 昭和52年12月28日、90歳の生涯を終える。
「上手に描こう、賞をとる絵を描こうと思いながら描いた絵は、どこか違う」という信念のもと、一度も帝展(現日展)に出品することはなかった。

   主な作品 「寒山捨得図」
           「雲龍」(身延山久遠寺祖師堂前水屋の天井・他)
           他、仏陀・仙客などの仏教画も多い。
※右の絵をクリックしますと、大きい画像が開きます。
また、天然画伯の生涯につきましては、芝村哲三・石井千佳子著「白雲にのって−孤高の日本画家 妹尾天然の生涯と足跡−」(東京経済社発行)を参考にいたしました。
 ●第三回目「アンケート実施」   2004年3月15日
 2004年2月8日にご来店のお客様が1000人突破しました。それを記念いたしまして、プレゼント企画を行いましたところ、500通を超えるご応募をいただきました。まことにありがとうございます。
 その際、ご応募いただきました方に、いくつかのアンケートを行いました。その結果を発表したいと思います。ご購入の際の参考にしていただければ幸いです。

アンケートその1
 
天光堂の和菓子を食べたことのある方はその商品名、また食べたことのない方は、興味のある商品名をチェックしてください。

1位  いちご大福
いちご大福はおつかいものとしてよく購入します。好評です。(広島県)
2位  大栗まんじゅう
とにかく栗が大好きなので、まるごと入っているというお饅頭は見逃せません(大阪府)
3位  生どら
凍らせておいて半解凍して食べたいです。15時のおやつにぴったりかも(兵庫県)
4位  あきもみじ
 番茶・抹茶あん餅
あきもみじの皮がおもしろい(埼玉県)
あんもちって健康によさそうですね(広島県)
5位  うめ大福
うめ大福って食べたことがないのでとても食べてみたいです(栃木県)
アンケートその2
 
サイト・弊社に関する意見がありましたら、お願いいたします。

 
カロリー表示があると女性にはうれしいと思います。
近い内に実施する予定で準備しております。もうしばらくお待ち下さい。
送料などを考えるとまとめ買いしたくなりますが、冷凍保存などはできるのでしょうか。
クール冷凍便と商品案内に明記しているものは冷凍可能です。その他の商品に関しましては、おすすめできません。
サイトの文字が小さくて読みにくいです。
ちょっとページが重いですね。
申し訳ございません。接続時間・文字はお客様のブラウザや通信環境によって違うこともありますが、少しずつ改善してまいります。
商品のうれすじランキング、特別クーポンなどを作って、メルマガに載せてみては?
アイディアありがとうございました。メールマガジンに関しましては、今のところは実施する予定はございませんが、いつかやってみたいと思ってます。そのときにはよろしくお願いいたします。
 ●第二回目「浅野四十二万石」  2004年2月11日
 今回は弊社の代表銘菓「浅野四十二万石」についてお話ししようと思います。

 「浅野四十二万石」は1934(昭和9)年より発売を開始しました。この商品を開発し、命名したのは創業者の田川徳一(たがわとくいち)です。
 弊社の創業は昭和6年、一介の職人から身を起こした創業者は、当時製造した和菓子をリヤカーに乗せ、広島市の北側、現在の広島駅周辺から広島城がある基町まで毎日販売に歩いていました。その創業者がいつもお昼の休憩をとっていた場所が、大本営の見える広島城公園です。大本営とは戦争中に於ける陸海軍の最高統帥機関であり、広島におかれたのは第五師団。1894(明治27)年の日清戦争当時には、明治天皇の行幸にあわせ、広島で国会が開かれたこともあります。
 昭和9年のころは大本営は解散していましたが、広島には木造白亜二階建ての建物は残り、軍関係の施設が集められていました(このため、広島に原爆が投下されたと言われています)。
 創業者は弊社の代表銘菓としてなにかいいものはないかと常に考えていました。ある昼休憩のとき、五重の天守閣が空にそびえ立つ、国宝(昭和6年指定)広島城の姿を見て、江戸時代広島を統治していた浅野家の名前を、新しい和菓子に命名することを思いつきました。
「その商品は、和菓子の命ともいえる餡の味を大切にしよう」と考え、餡はこしあんと白あんの二種類、もちろん小豆は北海道産のものを使用。餡を包む皮は、略称「かすまんじゅう」といわれる製法で、卵・小麦粉・蜂蜜の配合で練ったもの。カステラによく似た配合なので、「かすまんじゅう」と呼ばれています。本来、かすまんじゅうは一晩寝かすものですが、「浅野四十二万石」は従来のものより配合が複雑なため、職人の試行錯誤の末、2時間寝かすことにしました。これにより、砂糖が生地によくなじみ、焼き上がりのまんじゅうの皮がなめらかになるのです。
 「浅野四十二万石」という名前と味が評判となり、「大して宣伝もしてないのによく売れた」と長男の田川敦通、今の会長に語ったことがあるそうです。
 戦後の混乱期を乗り越え、広島も復興の兆しが見え始めた1951(昭和26)年、発明協会の方の勧めもあり、「浅野四十二万石」は登録商標を取得します。
 そして、銘菓「浅野四十二万石」の名前は、当時東京に居を移され東京博物館館長を務められていました浅野家16代目ご当主、浅野長武(ながたけ)氏の耳にも届くこととなりました。
 広島市西区草津に今もあります小泉酒造のご主人小泉氏と、かつて浅野家の家老職の家柄であった山口氏の口添えもあり、1957(昭和32)年4月27日、旧広島浅野藩藩校、修道学園の視察ののち、浅野長武氏が弊社を訪れてくださいました。
 長武氏は店内の様子、商品をつぶさにご覧になられ、創業者に激励のお言葉を寄せてくださいました。「浅野四十二万石」の直許をいただいた上、「名前にはじない立派なお菓子を作りなさい」とのお言葉も。創業者はこのときの感激を、「体が震えるほどであった」と常々語っていました。
 このときの写真は天光堂直営店におきまして、額にいれて飾っています。また本店には、浅野長武公よりいただきました「四十二万石」の扁額と、広島浅野藩最後の藩主、浅野長勲(ながこと)公の直筆「徳潤身」の扁額を飾っておりますので、ご来店の際は、是非ご覧ください。

 「浅野四十二万石」は製造開始のときと変わらぬ製法で今も作り続け、広島の方々にご愛顧いただいております。これからもよろしくお願いいたします。
                
                   商品の詳しい説明はこちら
 ●第一回目 「ご挨拶」   2004年1月18日
 天光堂のホームページを訪れてくださった皆様、どうもありがとうございます。浅野四十二万石本舗 天光堂有限会社の二代目会長 田川敦通(たがわあつみち)と申します。私は2003年10月に息子有洋(ありひろ)に社長の座を譲り、会長に就任いたしました。
 弊社は昭和6年に創業者田川徳一(たがわとくいち)が創業しまして、今年2004年で73周年を迎えます。原爆からの復興、高度成長期、そしてバブルの時代から現在の不況を、昔ながらの味を守ることによって、広島の人々に愛されてまいりました。その昔ながらの味の代表が、創業者がなによりも愛してやまなかった「代表銘菓 浅野四十二万石」でございます。
 また、新しい味にも挑戦してまいりました。その代表が「あきもみじ」に「ほろ酔いもみじ」、そして販売開始より約17年たっても変わらず愛されております「いちご大福」でございます。これらの商品は、広島の方だけではなく、広島を訪れてくださった県外の方にもご好評をいただいております。
 21世紀を迎え、世はITの時代と言われております。戦前生まれの私には世の速い流れに、まま付いていけないところもございますが、弊社もこれからは広い世界を相手にしなくてはならないと思い、ホームページの開設に至りました。弊社の社員が一から作っておりますので、ご利用の方が不便に感じる部分があるかもしれませんが、なにとぞご愛顧賜りますようお願い申し上げます。
 当店にお問い合わせ・感想などございましたらご遠慮なく、メール、もしくはお電話などいただけますとありがたく存じます。
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